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2008年5月20日火曜日

国立大学の学費を私立並にすべきだという財務省の言い分に一言

国立が私立なみの学費になるのであれば、それはすなわち、国立では無くなるということだ。

国立が私立並みの学費になれば、私の経験上、たとえ奨学金が整備されても、進学をあきらめざるを得ない人たちが大勢出てくるのは火を見るより明らかだ。現状では、奨学金の受給資格は条件が厳しく、無条件で貸与されるような、万人に開放される性質のものが非常に少ないからだ。奨学金に代わる学費ローンやTAやRAでなんとかなる米国とは状況がまったく違う。

国立大学の存在意義は国民の議論によるべきで、少なくとも、財務省の役人が「金がないから」という理由で意見を差し挟むべき筋合いのことではないと思う。そうでなくても、先進国中GDPに対する教育費の占める割合が最低の日本である。国立大学が各方面への人材育成に貢献している事を考えれば、このことは、財務省の役人が国民に対して教育の機会を奪うことを意味するのではないか。少なくとも、国立大学でさんざん利益を享受したであろう国立大出身の役人たちは、後進を育てる環境についてもっと考えるべきではないのか。

そもそも、この財政難を招いたのはだれなのか。景気が一時期の酷い有様を脱出したにもかかわらず未だに福祉・教育の予算が削減され続けているのは、国力を削ぐ結果になっているのではないか?長く経済状況が停滞する日本と違い、フィンランドや韓国のような人口の少ない国が成功しつつあるのは、教育に力を入れ続けているからなのではないか?

予算を執行する権限を持った人たちは、もっと役所自身の不正や無駄遣いに目を光らせてはどうか。道路特定財源や年金の例を引くまでもなく、不正が国民の大事な資産を害しているのではないか。福祉や教育のお金に手をかける前に、別にやらなければいけないことは沢山あるのではないか。SOX法とやらを企業に適用するのであれば、自分達にも適用するべきなのではないか。

目先の膨大な借金を少なくすることも大事だが、それ以上に、福祉や教育のような、人が人として安心して生きられるようにするためのお金を安易に削減することは反対であると一言申し上げたい。

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