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2007年12月12日水曜日

数学「者(もの)」になりたい

曲がりなりにも理系の大学をでて(ついでに言うと理系の大学院を中退している)私なので、フツーに出身校を明かすと「数学が得意だったんですね〜」と言われる。いやいや、とんでもございません。数学は点数悪かったですよ〜と返しても「そんなご謙遜を〜」みたいな話になって、なんとも居心地が悪い。でも本当なんですぅ(;_;)

最初に出た大学は必修の解析学を落としまくっていたし、高校の数学だって、そんなに点数がいいわけじゃなかった。唯一ほめられてもいいのは中学校の3年の最初の中間テスト(たしか因数分解とか二次方程式の解とかそういうやつのテスト)で98点を取ったことぐらい。これは自分ですごーく嬉しかったので良く覚えているけど、あとは、見るも無惨な結果ばかりなので、どうにも数学が出来ているとは自分でも思えない。怖ろしいことに中学時代の成功体験が、後に「理系」を志すという無謀なことをさせるもんだから、今の苦労があるわけだ(とほほ)何しても、理系科目は嫌いではかなったから、商売にしていられるけど、中学の成功体験がなかったら、どうなっていたことか。そういう意味では、ちょっとした「成功」でも人生における意味は大きいなとおもう今日この頃。

しかし、数学書を参照しても、こう理解出来ない事だらけだと、ちゃんと理解したい!という欲求が高まってくる。大学では、数学基礎論はあまり深く突っ込まないし。(いや習ったかも知れないが、すっかり記憶のシュバルツシルト半径の彼方へ…)線型代数はコンピュータ屋さん必須ということで、もう一度やり直そうと決心した。(本当は微分積分もなんとかしたい)過去の敗因は、問題を解く量が不足しているのが第一で、次に数式の意味がよく分かっていないのでは、というのが第二ではないかと考えた。確かにねぇ。手を動かして解く量が少なければ、覚えないだろうなぁ。

テレビドラマの「ガリレオ」で福山雅治が数式をだーーーーーーーーっと書いて思考を整理する、みたいな演出があったが、そーゆーのってかっこいー(<ミーハー) というか、数式を文章の様に書きまくって意味が分かるっていうのはいいなと思う。実用としても、うだうだ文章を書くより、数式一発書いて「はい、どうぞ」でみんなが理解できたら、非常に早いし便利だと思うのですが如何?

この辺、眉村卓の「産業士官候補生」に影響されているかも?

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