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2008年1月31日木曜日

東大の論文にかかるコスト…朝日新聞の記事についての疑問

朝日新聞の第二社会面にあった記事が話題になっているらしい。私も思うことがあったので、少し取り上げてみたい。

はてな日記からの引用
*mohri++:東大の論文がコスト高だと書いてた朝日新聞の記事について

大規模な研究はどこでもできることではないでしょうから、東大のようなところに研究費が集中されること自体は自然なことのようにも思えます。そもそも研究費を論文数で割るなんていう大雑把な統計でなにか意味があるのでしょうか?


激しく同意。私は研究費を論文数で割ることにあまり意味はないとおもう。それよりも、研究成果がきちんと当初の狙いどおり出ているか、もし失敗したのなら、なぜ失敗したのかも明らかになっているかが、研究の評価の指標として取り上げてほしい。

朝日新聞の科学オンチは今に始まったことではないけれども(思い出深いのが、バイクのフルフェイス・ヘルメットの危険性を訴えた記事とか、コンピュータの解説記事とか…枚挙に暇がない)地方大学への予算の不平等を訴えたいのであれば、もっとまともな指標を使うべきだし、そもそも元ネタの情報をちゃんと読んで消化できているのかという疑問が残る。東大などの予算が多い大学だけあげればセンセーショナルだけど、設備や体制が整っていないとやって行けないプロジェクトだってあるはず。私は東大シンパでは決してないけれども、こういう取り上げ方は、なんか気持ち悪い。

朝日新聞の記者は、官公庁の資料を基に記事を書くだけではなく、もっと現場へ出て、科学者・研究者たちの声を拾ってあるいて、研究の現場を見てくるべきではないのか?どうも記事からは研究の現場というのが見えていらっしゃらないようにも感じる。莫大なお金がかかるものもあれば、鉛筆一本頭ひとつで考えられる類のものもある。それをごっちゃにして総数で金額を割ることになにか意味があるのだろうか?それが研究の質を測ることになるのだろうか?

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