朝起きてたまったフィードをチェックしていたら、自分の書いたコメントが大々的に引用されていてびっくり!こんなに大量に引用されるとは思っても見なかったのでかなり驚きました。干場社長、ご紹介ありがとうございました!!!
Sioさんに聞く、物価が高いのにイギリス人が生活できるわけ ●干場 |ディスカヴァー社長室blog
http://d21.boxerblog.com/discover/2008/04/post-d8ce.html
オックスブリッジ、私も憧れます。オックスフォードもケンブリッジもいい所ですよね。オックスフォードの町並みをそぞろ歩いたり、ケム川の畔から眺めるケンブリッジ大学の青々としたキャンパスはまた格別です。ケンブリッジは EDSAC の故郷だし、オックスフォードは Turing が居た大学なので、機会があれば是非また行きたいです。
(とはいえ、そういう機会はなかなか無いですが…一度それぞれの大学の図書館に行ったきり。オックスフォードのガーゴイルにまたお目にかかりたい!)
Apple, Macintosh, MacOS X, iPhone 関係を中心に日々の雑感を書き綴っております. Herzlich Wilkommen!
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2008年4月16日水曜日
2008年2月24日日曜日
「コモディティ化」で思うこと
最近よく見かけるのは「コモディティ」とか「コモディティ化」という言葉。日本でこの言葉が一般化したのはいつ頃だっただろう…梅田望夫氏が「ウェブ進化論」を書いた頃からか?
コモディティというのは「日用品」という程度の意味しかないけど、コモディティ化という場合は「陳腐化」「一般化」「廉価版になる」という意味合いになるようだ。
コモディティ化 | @IT
commoditization / commoditizing
http://www.atmarkit.co.jp/aig/04biz/commoditize.html
コモディティ化 | Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%86%E3%82%A3%E5%8C%96
コモディティとは【commodity】コモディティ(日用品) | はてなダイアリー キーワード
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B3%A5%E2%A5%C7%A5%A3%A5%C6%A5%A3
モノを作る業界にとって、付加価値を付けて売り出していったけど「コモディティ化」してしまって、収益が下がるとか、逆に既存の分野に「コモディティ化」戦略を打って出て、そのシェアを奪うことで収益を上げるとか、最近何かと問題になることが多いキーワードらしい。
科学技術全般的に言えることだろうと思うけど、自分の知ってる「特別な知識」は、いずれみんなが知る「普通の知識」になる。そうなったときに、どれだけ他との違いを言えるのか。どれだけ自分の考えがオリジナルである主張できるのか。科学技術分野でなくても、研究者は常にそうしたせめぎ合いの中にいるものだと思うけど、ビジネスの世界でも同じらしい。
かつて私の恩師はこんなようなことを言ったことがある。たぶん、EDSAC の話をしているときで、だれか「なんで使われていないすごく古い機械の話をするのか?」とでも言ったんだろうか。
「大学っていうのはね、『古い知識』しか教えないんだよ」
「新しい知識っていうのは、日々変わるものだから、そんなのは大学のカリキュラムでは教えられない」
「でも、古い知識は、今の新しい知識の前提になるものなんだ」
「古い知識を知らずには、本当の今の知識を知ることにはならない」
「技術の歴史を知れば、何が新しいかが分かる」
だいたいこんなことだったような気がする。授業中に言ったこともあれば、研究室で学生に囲まれているときに雑談で話したこともある。大学に来れば新しいことを「学べる」と思いこんでいた私には、とても新鮮な考え方だった。この教授に会えてよかったなぁ〜コンピュータって面白いなぁ〜と思ったものだ。
言ってみれば、大学に限らず学校という場所では「コモディティ化」した知識や技術を教えていると言えるかもしれない。知ってる人はみんなしってる。でも「コモディティ化」とは言わない。どちらかというと「スタンダード」とか「常識」っていう。この差はなんだろうと思うに、「陳腐化しても価値のある知識」だと思う。つまり、物事の「基礎」を教えているわけだ。
EDSAC の話を聞くまで「機械語?かんべんして!」とか思っていた。でも、EDSAC の話を聞いて一度はシミュレータを実装してから、それ以後 RISC だろうが VIEW だろうが、アセンブラや機械語はあんまり怖くなくなった。あのトリッキーなイニシャル・オーダは今でもどうやって制作者が思いついたのか謎だけど(どういう理論なのか知りたい)、全部コードを理解したとき「なるほど〜」と目の前の霧が晴れてスッキリした。もしこれが最初から当時最新型のベクトルプロセッサの話なんかされていたら、たちまち挫折していたに違いない。「これが基礎を学ぶということなんだ」と後にして思った。
計算機はコモディティ化して久しいけど(計算機の主力が汎用機からPCになるのはコモディティ化でしょう?それともパラダイムが変化したって言った方がいい?)、一部の人が使うものよりは、一般の人も使うものの方が「コモディティ化」しやすい傾向に有ると思う。やはり「コモディティ化」には「量」が必要なんだろう。
では、「量」が「質」に変化するポイントととはなんだろう。それは「基礎」になれるかなれないかではないか。次の技術につながるか、次の思考につながるか…そんなところが分岐点になるのだとおもう。言い換えれば、「コモディティ」な知識と「基礎的」な知識の差が、その技術や知識が、土台になりうるかどうかの差だ、と私は考える。
たとえ技術が「コモディティ化」しようとも、根底に流れる物の本質・技術の神髄とでも呼ぶものは有るのではないか。それさえ見えれば、なにか少しでも新しい物を生み出していけるだろう。古い知識を踏み台にして、今の技術は確立してきた。いろんな技術が生まれる中で陳腐化して消えていったものもあれば、思わぬ所で復活して花咲いた技術もある。技術や知識も「温故知新」で、温められる古い知識や技術が「基礎」だ、と思う。
私は、時間という風雪に耐えうる様な技術・知識・知見を自分のものにしたい。議論になると打たれ弱い(!)自分としては、ちゃんと自分の考えを主張できるように、しっかり頭のトレーニングしなければいけないな、と改めて思うのだった。偉そうな事を言っている割には、依然として行動が伴っていないのだけれど…
コモディティというのは「日用品」という程度の意味しかないけど、コモディティ化という場合は「陳腐化」「一般化」「廉価版になる」という意味合いになるようだ。
コモディティ化 | @IT
commoditization / commoditizing
http://www.atmarkit.co.jp/aig/04biz/commoditize.html
コモディティ化 | Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%86%E3%82%A3%E5%8C%96
コモディティとは【commodity】コモディティ(日用品) | はてなダイアリー キーワード
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B3%A5%E2%A5%C7%A5%A3%A5%C6%A5%A3
モノを作る業界にとって、付加価値を付けて売り出していったけど「コモディティ化」してしまって、収益が下がるとか、逆に既存の分野に「コモディティ化」戦略を打って出て、そのシェアを奪うことで収益を上げるとか、最近何かと問題になることが多いキーワードらしい。
科学技術全般的に言えることだろうと思うけど、自分の知ってる「特別な知識」は、いずれみんなが知る「普通の知識」になる。そうなったときに、どれだけ他との違いを言えるのか。どれだけ自分の考えがオリジナルである主張できるのか。科学技術分野でなくても、研究者は常にそうしたせめぎ合いの中にいるものだと思うけど、ビジネスの世界でも同じらしい。
かつて私の恩師はこんなようなことを言ったことがある。たぶん、EDSAC の話をしているときで、だれか「なんで使われていないすごく古い機械の話をするのか?」とでも言ったんだろうか。
「大学っていうのはね、『古い知識』しか教えないんだよ」
「新しい知識っていうのは、日々変わるものだから、そんなのは大学のカリキュラムでは教えられない」
「でも、古い知識は、今の新しい知識の前提になるものなんだ」
「古い知識を知らずには、本当の今の知識を知ることにはならない」
「技術の歴史を知れば、何が新しいかが分かる」
だいたいこんなことだったような気がする。授業中に言ったこともあれば、研究室で学生に囲まれているときに雑談で話したこともある。大学に来れば新しいことを「学べる」と思いこんでいた私には、とても新鮮な考え方だった。この教授に会えてよかったなぁ〜コンピュータって面白いなぁ〜と思ったものだ。
言ってみれば、大学に限らず学校という場所では「コモディティ化」した知識や技術を教えていると言えるかもしれない。知ってる人はみんなしってる。でも「コモディティ化」とは言わない。どちらかというと「スタンダード」とか「常識」っていう。この差はなんだろうと思うに、「陳腐化しても価値のある知識」だと思う。つまり、物事の「基礎」を教えているわけだ。
EDSAC の話を聞くまで「機械語?かんべんして!」とか思っていた。でも、EDSAC の話を聞いて一度はシミュレータを実装してから、それ以後 RISC だろうが VIEW だろうが、アセンブラや機械語はあんまり怖くなくなった。あのトリッキーなイニシャル・オーダは今でもどうやって制作者が思いついたのか謎だけど(どういう理論なのか知りたい)、全部コードを理解したとき「なるほど〜」と目の前の霧が晴れてスッキリした。もしこれが最初から当時最新型のベクトルプロセッサの話なんかされていたら、たちまち挫折していたに違いない。「これが基礎を学ぶということなんだ」と後にして思った。
計算機はコモディティ化して久しいけど(計算機の主力が汎用機からPCになるのはコモディティ化でしょう?それともパラダイムが変化したって言った方がいい?)、一部の人が使うものよりは、一般の人も使うものの方が「コモディティ化」しやすい傾向に有ると思う。やはり「コモディティ化」には「量」が必要なんだろう。
では、「量」が「質」に変化するポイントととはなんだろう。それは「基礎」になれるかなれないかではないか。次の技術につながるか、次の思考につながるか…そんなところが分岐点になるのだとおもう。言い換えれば、「コモディティ」な知識と「基礎的」な知識の差が、その技術や知識が、土台になりうるかどうかの差だ、と私は考える。
たとえ技術が「コモディティ化」しようとも、根底に流れる物の本質・技術の神髄とでも呼ぶものは有るのではないか。それさえ見えれば、なにか少しでも新しい物を生み出していけるだろう。古い知識を踏み台にして、今の技術は確立してきた。いろんな技術が生まれる中で陳腐化して消えていったものもあれば、思わぬ所で復活して花咲いた技術もある。技術や知識も「温故知新」で、温められる古い知識や技術が「基礎」だ、と思う。
私は、時間という風雪に耐えうる様な技術・知識・知見を自分のものにしたい。議論になると打たれ弱い(!)自分としては、ちゃんと自分の考えを主張できるように、しっかり頭のトレーニングしなければいけないな、と改めて思うのだった。偉そうな事を言っている割には、依然として行動が伴っていないのだけれど…
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