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2008年6月12日木曜日

「カイゼン」は業務か否か…雇われ目線から考える

日経BP の IT Pro でこんな記事があった。

“カイゼン”は果たして業務か | IT Pro Watcher
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20080602/305618/

この記事ではどちらがどうという結論は出していないように見えるが、それにしても私にはどうもこの問題は釈然としない。「業務か否か」という、そういう切り口で迫るべき問題なのか。なのでちょっと考えてみる。

記事では「従業員は自らの価値向上に動機付けを求めよう」としたうえで次のように述べている。
経営陣は,いつまでも旧弊に捉われず,新しい視点で経営のパラダイムを変えなければならない時である。さもなくば,結果的に負の負担を強いられ,前に進むこともできない。

 従業員も,業務の「時間」でなく「質」で勝負しなければならない。一方で,自分の価値(あるいは,将来の自分の売価)を高めるために,業務範囲か否かという曖昧な部分の対価を求めるような些事に対する関心は捨て,自己研鑽(けんさん)の機会を獲得することに関心を持つべきである。多くのチャンスが,自己価値を高めてくれる。
この記事を読んでいると「カイゼン」するべきなのは「業務」なのか「個人のパフォーマンス」なのか、ということが世間ではいかに曖昧にとらえられているかと言うのがわかる。「カイゼン」という活動にダブルミーニングを持たせるから、問うべき課題の認識が混乱する。

この「カイゼン」の話にはカイゼンすべき対象の話が抜けている。「カイゼン」は「儲けるための仕組み作り」なのだから、仕組みを考えるときには「誰であれ」同じようにできる手順を仕組まなければならない。「個人の資質」をカイゼンするのは、また別の話だ。

つまり今の社会においては、「カイゼン」は「会社の業務」なのだ。

それをはっきりさせないから、雇われている方は「なんで残業ばっかりさせるんだ」ということになるし、経営者側でも「最近の従業員は会社への貢献度が低い」と不満を抱くことになる。

トヨタであれどこの会社であれ、「カイゼン」で対象とするべきなのは「会社の業務」なのであって、「個人の資質」や「個人の業績」ではない。チームワークで取り組むべき仕事をもっと効率化するのが「カイゼン」だ。それに、自己研鑽という作業は、もらうものをもらってからでないと出来ないことも多い。お役立ち度の高いセミナー一つ受講するにも、本一つ買うのでもお金はかかる。高いパフォーマンスを出している人で本を読まなかった人を私は知らない。

パソコンを使うのだって、自分専用のパソコンを高いお金をだして買っていじりたおしてから獲得する能力だ。そういう環境にはお金がかかるという事実を経営者は見て見ぬ振りをしているのではないか。また、実際にそうやって「自腹」を切って研鑽に励んでいる人たちに、冷たい仕打ちをしているのではないか。

そんな会社の「腹」が読めてるから、従業員は「会社の業務として活動しているのだから、残業代を支給しろ」と要求する。私は、それは至極まっとうな要求だと思う。「カイゼン」が会社で働くという契約でないというのなら、なぜ会社の備品をつかて就労時間外で「カイゼン」活動に励むというのか。

「カイゼン」または「QC活動」なるものは、現場レベルでの業務の効率化の「仕組み」を構築するために始まったものだとおもうが、ただ「やってさえいれば」良い活動に成り下がっている所も多いのではないか。私の見聞した範囲では、現実に効果が見えない活動も多そうだからそのような想像をするのだが、そういう成果のあがらない活動は労働者にとっては、意味の無い単なる労働時間の延長でしかない。だったらやめたら?という話だ。

もちろん、効率化された仕組みの有無は、会社にとって死活問題になりうる。だからちゃんと「カイゼン」しろよということだとおもうが、死んでいる「カイゼン」活動は、いっそのことやめた方が「カイゼン」になるのではないか?

「カイゼン」すべきは、「自主的」に(つまりタダで)やってもらうべきことであると経営者が思う事ではないか。従業員は日々の銭を稼ぐために会社に就職するのだ。「カイゼン」作業に携わるのも、きっちり成果を出して会社に貢献度を認識してもらい「お金」をもらわんがためだ。仕組みづくりにお金がかかるなら、当然、残業代を支払うべきだ。でなければ、その仕組み自体を末端に任せずに経営者が知恵をしぼることではないか。

もちろん、理想として全社一丸となって…という「気分」はわかる。でも非正規雇用が多い現在、そんなのは妄想だ。チームのモチベーションを上げたければメンバーに「ご褒美」を用意しなくてはならない。

「カイゼン」は実行してなんぼ。実行には時間がかかるし、提案した従業員だってタダで働く訳にはいかないのだ。昔は終身雇用でがんばればいつかは…という期待感もあっただろうが、雇用を非正規社員の多用で流動化しようとする国策にのっかるのであれば、そろそろ、そういう妄想から目を覚ました方がいい。

スキルを自社内で溜め込みたいのであれば、長期的にコンスタントに働いてもらえるような労働環境を整えるべきだし、ノウハウ化して儲けるのであれば「カイゼン」考えて成果を出した人は reward される仕組みを作ってもいい。ただ働きさせるから、みんなのモチベーションも続かないし、ノウハウが社内にたまらないということが、経営者の頭の中から抜け落ちてる会社も多いのではないか。

私は会社の経営者ではないが、お金のない苦しさはよくわかる。さらに言えば、お金を出さないよ、という会社では普通人間は働かないんじゃないだろという事くらいはわかる。スタートアップ企業の創業者なんかはそういうのでも我慢できそうかも…とは思うが、それを補ってあまりあるモチベーションが彼らを支えている。家族を抱えて食いブチを稼がなければならない、現実的に労働単価の安い層なんかは長時間労働/拘束時間の長時間化&低賃金は死活問題じゃなかろうか。そういう事をもっと考えて欲しいものだ。

なので、トヨタが「カイゼン」を業務だと認めて残業代を払うことについて、私は肯定的だし、むしろ認めるのが遅すぎたのではないかとさえ思っている。他の企業もこれを機会に、労働法の遵守と、記事が言う所の「パラダイムの転換」を図った方がよいのではないか。

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