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2008年2月8日金曜日

私が原書を読む理由

このブログで何回か表明しているのですが、私は日本語の翻訳本があっても(自分で読める言語は限られますが)できるだけ原書(げんしょ)に当たるようにしています。その理由について考えてみたいと思います。

【私が原書を読む理由】


  • 語学のトレーニングのため…リーディングの強化のため

  • 翻訳本で内容が省略されている場合があるから…滅多にありませんが、たまにある

  • 原書は1冊でも日本語版で2分冊になるなど、かさばる場合があるから…ハリーポッターとか、Programming Perl とか…

  • 日本語版にくらべて安い場合がある…これはAmazonでよく見かけます

  • 論文を書くときに、一次資料に当たるのは当然だから(というか、しないと怒られる)…参考文献に書く場合は一次資料は重要です

  • 翻訳本で分からない場合でも、原書を読むとすんなり頭に入る場合がある…たまーにひどい訳にぶち当たる時がある

  • 翻訳本がない…専門書ではよくある話で、売れる本でないと翻訳されない


と、ざっと挙げただけでも7つほどはあります。



とはいえ、すらすらと読めるわけではありません。結局はものすごーく苦労して読む羽目になり後悔することもあります。ラテン語の本なんかは、さすがに読めません。フランス語などは辞書を引き引きやっと読めるかも(でもニュアンスはわからないかも)という状態もあります


原書を読むことによって、翻訳で失われてしまった元の文章の匂いとか感触とか、そういうものを感じる時があります。英語の本でも「えー、こんなに言い回しが違うの?なんか全然印象が違う!」と思うときがあります。


もちろん、翻訳本は便利です。日本語で読めば、苦労して辞書を引く必要はないわけです。日本語版ならではの補遺というか、追加情報をつけてくれる親切な翻訳者の方もいらっしゃいます。そういう本は喜んで日本語版も買っています。原書と日本語版を読み比べることで、よくわかる場合もあるので、決して翻訳本が必要ないと言っているわけではありません。


ただ、技術書であれば一応元の記述がどうなっているのかは知りたいですし(コンピュータを知らない人がコンピュータのGeek本を訳している場合がないとはいえない)、小説であれば、どんな言い回しをしているんだろうと気になったりします。それをほおっておけないので、ついつい原書を(日本語版もあるのに)読むのかもしれません。


最近は円が高いので原書を購入するチャンスなのですが、こういう時に限って予算がないのが非常に悲しいです(^^;

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