以前 Ruby を開発したMatzさんがこんなエントリを書いていて、なるほどねーと思ったんですが…どうもMatzさんが PHP の安全性について批判したのを「disった」といってあちこちで騒ぎになっていたらしい。そのときの話です。
[言語] PHP使いの反論 | Matzにっき
http://www.rubyist.net/~matz/20080129.html
「人は自分が持つであろう意図と動機を他人に見いだすのだ」と以前聞いたことがある。とすると、これらの批判をする人たちはもし「自分の言語」を持ったとしたら全力で他の言語をけなし、自分の言語を持ち上げるのだろうか。というか、PHPが彼らにとっての「自分の言語」なのか、もしかして。やれやれ。
私は言語オタクとして、さまざまな言語の良いと思うところは良い、悪いところは悪いという印象を自分の日記に記録する。公開しているんで読みたい人は読み、参考にできると思う人は参考にする、それで良いと思う。
この構図って類似のものはたくさんあって、
Mac 使い vs Windows 使い
親指シフター vs JIS あるいはその他のキーボード使い
Emacs vs vi
GUI vs CUI
...
などなど、数え上げればきりがない。あいかわらずこうした構図があるのは、相手が書いたことが自分が考えている論点とすり替わってしまったり、あるいは自分の好きなものを「全否定」されたような気になるからなんだろうなとぼんやり考えてました。
まつもとさんはこの点、読めば議論になるように気を使って書いていると思うけど、それでも炎上すると。自分の常識と相手の常識は違うものなんだな、と言うのがよくわかるエントリでした。
でもMatzさんは別に PHP をdisっているわけじゃなくて、「批判」ていう言葉が適当なんじゃないかと。根拠もなく「けなしている」「悪口を言う」のではなく、根拠を挙げて悪い点は悪いと言っているだけなんでは…単にdisるという言葉はあわないのでは?と思うのでした。
言われている(と思っている)PHP使いの人たちからしたら「disる」も「批判する」も同じに聞こえるかもしれないけど、その認識って何かしら微妙に違う気がする。そして「ことば」がもつ微妙なニュアンスの違いに疎くなるっていうのは、やっぱりあちこちで炎上する危険性が増えているんじゃないか。
若者の読解力が低下していると憂える人たちの心配はあながち的をえているのかも、と思えて仕方がないのでした。あと、読解力だけじゃなくて、感情的にならず議論する能力(ディベートにはこれが必要)も大事かなと。
形式言語での論理性もそうだけど、プログラマなら自然言語でも論理的になろうよ、と思うのが今日の私の結論。難しいんだけどね、これが。
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