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2008年2月16日土曜日

コードは世界を変えられるか?

タイトルは先日行われたデベロッパーサミット2008のテーマ(?)「越境しよう!コードで世界を変えよう」のもじり。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」みたいな語感になってしまいましたが。なんか「世界を変える」とか聞くと「少女革命ウテナ」か?と思ってしまいます(苦笑)

最近、Blog でこの手の言葉が出てくることが多いような気がします。アメリカではバラク・オバマも「One voice can change the world!」とか言ってるし、シンクロニシティ?影響されてる?なんて、うがった見方をしてしまいます。

要するに「世界を変えたい」と思うほど、今の世の中、窮屈で閉塞しているとみんなが思っているんでしょうか。だから「世界を変えたい」と。もし感じている閉塞感がみんなと共有できるものであれば、それは理解できる。

この手の話題について深い知識を持っている訳ではないのです。しかし、私はこの話を聞くと「で、コードで世界の『何を』変えたいんですか?」と聞きたくなってしまいます。バラク・オバマの演説も「アメリカの『何を』『どう』変えたいんですか?」と聞きたくなる。閉塞感から何かを変えたいと思うのは自然なことだけれど、どっち向いて走ってるの?という話が、その言葉からは伝わってきていない気がするのです。

もちろんん、世の中の「空気」からいえば環境問題やら、テロとの戦いやら、グローバリゼーションが地域経済を脅かしているとか、いろいろな前提があって、これをなんとかしたいというのはわかります。でもどっちに行きたいのか、どうやって行きたいのか、そんな話が見えてこなくて、ちょっと腹立たしくなるときもあるのです。そんなときはあえて「空気を読まない」で考えたくなるのです。

コードで手の届く範囲というのは、まだまだ限定的でしょう。電気の届かない地域にはインターネットに接続できる PC 環境もままならないでしょう。しかも個人でコンピュータを所有できる人がたくさんいるという所は、いわゆる先進国の中流以上の人たちと、開発途上国の富裕層がほとんどだろうし、それ以外の大勢はまだ生活に窮しているのが現実でしょう。世界を変えるとなれば、そういう人たちにも手を差し伸べなければならない、と思うのですが、そういう視点って、このスローガンに入っているんだろうか…と疑問に思ってしまいます。

バラク・オバマは、多分本気でそう思っているのかもしれないけど、でもアメリカの大統領候補というフィルタがかかっている分、あまねく世界を(良い方向へ)変えたいと思っているとは、私には思えません。それは、結局はアメリカの国益を考えなければいけない人だろうから、利害の対立からは逃れられないと思うからです。ヒラリー・クリントンもその点では大差はないと思う。

コードで変えられる世界がどれだけのものか、みんなそれをよくわかっているのだろうか。世界を変えたいというその意気や良し。しかしここで言う「世界」とは、インターネット内の“狭い”「仮想世界」じゃないですよね?例えばコードを書いているデュエリストの人たちは「少女革命ウテナ」の世界である「鳳学園」周辺ではなくて、本当の世界を変えたいんですよね?と私は聞きたいのです。

天上ウテナは決闘に敗れてどこかへ行ってしまったけど、世の「世界を変えたい」コード書きの人たちには、世界の無情に絶望することなく、「世界を変えたい」のなら、世界を良い方向に変える努力を実行に移してほしいなと思います。

あー「少女革命ウテナ」見てない人には、なんだかわからない文章になってしまいましたが、まあ、なんとなく「世界を変える」とか聞くと、背中の辺りがむずがゆくなってしまうので…考えを書いてみました。

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