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2008年2月8日金曜日

社会人の大学/大学院への編入学・進学について思うこと

私の野望(!)というか、今一番したいことは、大学院に戻って修士号・博士号をとりたい、ということです。しかもできれば二つ。まあ、あまり博士号を二つとることに意味はないという方もいらっしゃるのですが、そういう意見もあると知った上で、博士号をとりたいなと。

以前、修士課程(正確には博士前期課程)にいたときは、諸般の理由であまり良い学生とはいえなかった。そういう後悔もあって、もう一度挑戦したいという気持ちがあります。

ただ、自分では言いたくはないけれど、正直、現役の大学生とはかなり年も離れてしまっているので、環境になじめるかどうかは不安です。それに、経済的な問題もあります。やはり何も仕事をしないでいる訳にもいかないだろうし、何か良い手だてがないものか…と思います。アフィリエイトでがっつり儲けられればそれがいいんですけど、そうもいきませんね(^^; 家族の理解も必要になるでしょうし、実現しようとすると、なかなか大変です。

私はmixi上で「社会人編入・大学院進学」というコミュニティの管理人をしているのですが、いろんな理由で、もう一度大学にいきたい、大学院に行きたいと思う方はたくさんいるんだな、と、日々実感しています。そういう人たちのために、国の制度、とまではいかなくても、社会人であっても大学や大学院で学び直せるような仕組みと経済的支援があれば、技術者の育成や文化的な貢献に役に立つと思うのです。

社会人学生を取り巻く現状は厳しいです。収入があれば奨学金もとりずらいし、奨学金を返す頃には収入自体がなくなっているかもしれないし…そんなことを考えてしまいます。勉強に身を入れるためには、経済的な安定は絶対必要です。決して、あこがれだけでは目標には手が届きません。なんらかの計画と経済的な問題を解決する具体的な行動が必要なのです。

また、仮に経済的なことが解決しても、社会人が大学院へ行く場合、決まったパターンがあるわけではないので、どうやって自分の実力を担保するかが問題になってきます。文系から理系、理系から文系に転向する場合は皆さん悩むことが多いようですし、それでなくても、大学院の博士後期課程へいこうとするならば、論文の一つや二つ書いていないと門前払いを食らってもおかしくありません。(もちろん、優秀な方や実績が十分ある方はそうした問題はありませんが)

そう考えると「圧倒的な努力」をしないと、壁というのはなかなか超えられないものなのかもしれません。自分にできる限界値の努力って一体なんだろう…と、今の自分の体力ひよひよの低い限界値を思うと目の前が暗くなりますが、そうも言ってられません。天は自ら助くる者を助くといいます。自分にできる精一杯のことをするしかありませんね。

当面は、放送大学大学院とか、自宅でなんとか勉強できる環境を作って頑張るしかないなぁと改めて思ったのでした。

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