いろんな所で書評がでている、中島聡氏の「おもてなしの経営学 アップルがソニーを超えた理由 (アスキー新書 55)」を私も手に入れたので読んでみました。結論から言えば、これは是非読んで欲しい本です。とくに「Ah!Ski」や「南青山アドベンチャー」を知ってる古い(失礼!)人は楽しめる本だと思います。
Windows95、IE の開発者だった方が書いている話なので、非常に興味深いです。ブログのまとめとして読むのも良いでしょうし、特別対談も豪華キャストで面白いです。私のお気に入りは古川享氏との対談で、当時のアスキー(月刊ASCIIやアスキー神社などなど…)をリアルタイムで知っている人間にとっては懐かしさとともに「あーあれはこんな事があったからなんだ」という事がわかったり…私は買ってすぐ喫茶店に入り、あっという間に読んでしまいました。
◆ここで言う「おもてなし」とは「する側」?「される側」?
さて、この本は間違いなくお薦めできる本なのですが、一点だけ気になる事があります。それは中島氏が非常に気に入っておられる、User Experience を「おもてなし」と訳す事についてです。
第1章の p.17 にどういう経緯でそのように言うようになったのかが書いてあるのですが、要するに「訳語を募集してブログにそのようなコメントがついたから」ということらしいです。それはそれで問題ありません。気に入った言葉がなんであれ本人がいいというならOKです。ただ、なんか訳語というか、その代わりとして使われると引っかかる。なんだろう?と思ったわけです。中島氏もずいぶんと訳に困ったように本で書かれていますし、ちょっと訳出するのが難しい言葉ではあります。でもその違和感を私なりに「日本語化」しておかないと、さらにしっくりこない訳です(何しろ私はエクストリーム・プログラミングとか言われても、直感的にわからない人なので…orz)。
User Experience というと、ユーザが感じたり体験したりすること丸ごと全部!という感じが私にはするのですが、そこにはあまり「体験させよう」「体験しよう」という「ベクトル」は無いように思います。行為の主体は User でしょう。
でも、日本語で「おもてなし」というのは、ユーザ側では「受ける」ことだし、設計したり開発する側は「する」側というように主語が違ってきてしまう「ベクトル」のある言葉になってしまっているような気がします。その辺が私が「おもてなし」という言葉を当てはめることに違和感を感じる要因なのかもしれません。
◆著者の立ち位置と「おもてなし」という言葉を著者が気に入る理由
「おもてなし」は明らかに「意図して」行うのだし、Experience の意味には動詞もありますが「体験させる」という使役の意味はない(どちらかというと「体験する」)ので、「おもてなしする」という言い方の対比において、やっぱり違うんじゃないかなあ…と思うのです。著者も
『直訳ではないので、必ずしもそのまま入れ替えて使うわけにはいかないが』(「おもてなしの経営学 アップルがソニーを超えた理由 (アスキー新書 55)」中島聡著 p.17)
と述べているのでおそらく気がついていらっしゃることでしょう。しかし、なぜ著者はこれが気に入ったのか。それが気になります。それは著者のの立ち位置に由来するのではないかと私は考えました。著者が「おもてなし」という言葉が気に入る背景には、長年コンピュータのプログラム開発に携わってきた中島氏だからこその立場がにじみ出ているようです。
どうすれば良い UI になるか、どうすればみんなが簡単に使えるようになるか、そう考えてきた人だからこそUser Experience とは「おもてなしをする」側の方にいる人が、いかに売れる物あるいはみんなに使ってもらえる物になるか、あれこれ考えているから「おもてなし」という言葉がしっくりくるのかもしれません。
◆しかし、なんかちょっと違う気が…その違和感の正体
ただ、私が違和感を持つのは、いくら過剰とも言えるくらい演出された「おもてなし」を受けようとも、「おもてなしされる」側がサービスをする側に、なにがしかの「シンパシー」が無くては、「おもてなし」って成立しないよね…と感じるからなのです。そうするとたちまち、考え抜かれた「おもてなし」であっても意味の無い物になってしまう。しかし、それさえも「ユーザ自身の体験のうち」なのではないか?と私は考えます。
もちろん「成功する場合の」おもてなしの事を中島氏は語っておられるので、そうした点はこの本の範疇外でしょう。経営学というからには、やはり「おもてなし」が成功する話を想像してしかるべきだとおもいます。それが決して悪い訳ではなく、むしろ著者の立ち位置がわかるタイトルで好ましいのです。しかし、User Experience に「おもてなし」という言葉をあてはめると、どうしても私が感じてしまう「違和感」があります。
その違和感の正体は「おもてなし」という言葉を使うときに
・「おもてなしする」側が「おもてなしをされる」ユーザ側が受けるであろう良いフィードバックをあらかじめ連想している
・「おもてなしをする」側から「される」側へのベクトルが感じられる。「される」側の主体性はあまり感じられない
・分不相応な「おもてなし」/歓待を受けたときの居心地の悪さというか、あえていうならネガティブな視点が入ってきていない(今や環境に配慮して包装紙は省略されてしまう世の中ですし…)
という3点において experience と同じ意味合いを私が感じられないからなのでしょう。
もっとも「経験」や「体験」というときには、英語ではポジティブな話をするという暗黙の了解があるのかもしれませんし、もしそうならばネイティブやそれに近い語学力を持つ人にはあまり意味の無い違和感かもしれません。 Collins Cobuild-advanced Learners English Dictionary (Collins Cobuild)(英英辞書です)には good とも bad とも書いてないんですよね。気になる気になる…こんなところで引っかかっていては、とても中島氏のような、他人が喜ぶ「おもてなしの心」あふれる文章にはならないかもしれません(苦笑)
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